2013年3月31日日曜日

高田さん、逝く。

 高田久夫さんがお亡くなりになりました。ガイド中に高田さんのことを話すことも多いので、このブログを読んでいる方も知っている人がいると思います。今の屋久島を語る上で最重要人物であり、いろんな意味で屋久島の森を高田さん以上に知っている人はいないと思います。

 今日は葬儀でした。実は3月の上旬に亡くなられたのですが、本人の意向で葬式はしない予定だったようです。もちろん、周りが黙っているわけがなく、多くの方達が参列していました。ガイドも10人ほど参列。ボクも山ですれ違った時に挨拶していただいたり、講演会や勉強会で話を聞かせてもらった程度ですが、涙が止まりませんでした。現愛林(高田さんの会社、土埋木の搬出をしている会社です)代表のHさんの弔辞が心に染みました。ボクも間接的にもの凄い影響を受けたのは確かです。たくさんのことを教わりました。

 親交があったオカリナ奏者の宗次郎さんが高田さんに作った曲を吹き、早くも涙腺が…。ガイドとして、印象的だったのが「高田さんに四季を通し、何度も山や森を案内してもらい、曲がどんどん生まれてきた…」と。屋久島の森は他の場所と違い、ただ歩いただけではその凄さがほんのちょっとしかわかりません。ガイドが身体を使い、言葉を操ってこそ、森を歩いた人が大切な「何か」を得られるのだと思います。もちろん高田さんのように全身全霊で森を語ることはできませんが、「森」と「森を歩く人」との間にボクがいることを再確認しました。

 ここ10年ほどは、後継者を育てることに情熱を注いだり、講演会や勉強会もたくさんしていました。「伝える」ということを大切にしていたのだと思います。名誉ある賞もいろいろもらったそうですが、高田さんが屋久島に残したものはそれ以上に凄いものだと思います。このブログを書いている最中でも、小さい体の大きな背中が頭に浮かんできます。

 高田さんが残したもの、高田さんが伝えたかったもの、高田さんがやりたかったことはあまりに多くて、あまりに大きいものでした。もちろんここで書けるようなものでもありません。失礼ながら、ボクが屋久島でガイドをしていく限り、ずっとお世話になる人です。今でもこれからもそれは変わらないと思います。そんな意味で、「これからもよろしくお願いします」と言いたいです。

 というわけで、今夜はしっとりとしたブログになってしまいました。ちなみに冒頭の写真は昨年4月の写真。この時もいろいろ語ってくれました。その時のブログは下記を参照してください。
http://biyakublog.blogspot.jp/2012/04/blog-post_09.html

追記:高田さんのことをもっと知りたいと思う方は「屋久島の山守」(草思社)をお読みください。屋久島関連の本で絶対に外せない本です。

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